明治31年(1898年)3月29日 東京美術学校(現・東京藝術大学)校長の岡倉天心が免職

明治31年(1898年)3月29日 東京美術学校(現・東京藝術大学)校長の岡倉天心が、校内の争いで免職。岡倉派の教授橋本雅邦や助教授横山大観ら17人も岡倉に従い辞職。

東京美術学校は、明治20年(1887年)に、岡倉天心やフェノロサらが設立準備をして開校。それに先立つ明治9年(1876年)に、日本政府はイタリア人が絵画・彫刻を教える工部美術学校を設立していたが、明治16年に廃止していました。

世間を揺るがせた「美術学校騒動」。岡倉天心が学長を辞職した理由とは?

 

明治に生まれたばかりの「美術」業界の勢力争いが理由のようですが、岡倉天心は反目していた帝国博物館長の九鬼隆一の妻と不倫関係にあることが暴露されたことで、スキャンダルの責任をとって免職となったようです。

 

 

  • コメント: 0

関連記事

  1. 承和元年1月8日(834年2月19日) 空海が初めて「後七日御修法」を宮中で実施

  2. 長暦3年2月18日(1039年) 延暦寺僧3000人が天台座主の人事反対を訴え強訴

  3. 元禄14年3月14日(1701年) 江戸城中で高家吉良上野介を斬りつけた赤穂藩主浅野内匠頭に切腹を命じる

  4. 「世界サブカルチャー史 欲望の系譜 アメリカ理想の50s」 NHK BSプレミアム

  5. 年3回だけ開室の東京国立博物館の黒田記念館特別室

  6. 建久9年1月17日(1198年2月24日)後鳥羽上皇が院政を始める

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。